強迫観念共存物語:作者おすすめ紹介処中の人

不安な人におすすめ
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1)

こうやって、文章を書いている間にも、

僕を苦しめるのはそう。

強迫観念である。

強迫観念とは何か。

それは、心臓が鼓動を打つのかのように、

沸々と湧いてくる不安である。

そして、その不安は物凄い粘着力で、

脳内にこびり付いて離れない。

きっと不安がない人はいないと思うが、

人によってその強弱は異なるだろう。

少し例を出してみよう。

例えば、車を運転していて、

石を踏んでしまったとする。

そうすると、きっと音がなるはず。

その音が健常な精神状態であれば、

ただ、石を踏んだとしか、思わないだろう。

でも、調子が悪いとこれがダメ。

何かに、ぶつかったような気になる。

本当に調子が悪いと、これがもっとダメ。

その何かが、”人”のような気もしてくる。

ちなみに僕はゴールド免許だ。

免許をとってから7〜8年。

無事故無違反を貫いている。

精神状態が健康なあなたは、

きっとそういう感情になることはないだろう。

というより、

僕と同じ状態にはなってもらいたくない。

本当に苦しいから。

じゃあ、”人”にぶつかったように、

脳が誤認している状態で、

日常生活を明るく送れるだろうか。

はっきりと言う。無理だ。絶対に無理。

1番辛かったのは、4年くらい前。

そんな日常が続けば、鬱っぽくもなる。

すぐに自分の中から、笑顔は消えていった。

強迫観念の怖いところは、

それが強迫行為に繋がっていくところ。

え、

気合いで我慢すれば良いかと。

そう感じる方もいらっしゃるかと思う。

僕は確かに気合いがあまり無い人間だ。

また、例と言うものを出させて欲しい。

本当に眠い時、若しくは疲れている時。

夜勤だったり、夜通し何かをしたり。

きっと、人生の中で、一度は誰しもそういう経験があると感じる。

そんな時、睡魔を我慢することはできるだろうか。

僕はできない。

できる人だって、

人間寝ないことには限界があるに違いない。

強迫行為の欲求というのは、

不安によって湧いてくると思う。

それは、眠い時に眠気を我慢するより、

不安もあるため、とても辛い。

今にも人生の全てがダメになってしまいそうな。

そんな不安が起きている間中、ずっと私を襲ってくる。

少し戻るが、先ほどの車の話だと、

何度も車が凹んだりしていないか、

見に行かないと不安で落ち着かない。

そして、見に行った数分後には、

やっぱり車は凹んでいて、

何かにぶつかってしまったのではないかという不安が、意に反して戻ってくる。

精神状態が健康であれば、

その状態は仕事に行ったり、学校に行ったり、

何かに集中すると、普通、一時的或いは恒久的にその不安感情は消えていく。

けど、強迫観念が酷いと、

何かに集中することは出来なくなる。

それはもの凄く辛くて、

逃げ出したくても逃げ出せない苦しみだ。

2)

じゃあ、僕はどうやって、精神的な健康を取り戻したのか。

それは、大きく分けると2つだろう。

1に通院、2に考え方。

僕はこの2つの要素で、元気になった。

まず、通院に関して、自分に相性の良い主治医と自分の不安症状に効く薬。

この両方に出会えるまでは、

6ヶ月から8ヶ月くらいかかったような気がする。

もちろん、医療の事は良く分からない。

たが、おおよその目安として、寝てる時以外、物事にほとんど集中できない状態から、

僕が回復するまでの期間はそんなところである。

次は考え方だ。

なぜ、考え方に触れるかと言うと、

それは薬を服薬して、病院に通っていても、時々症状が出てきてしまうからだ。

この文章を書いている間もそう。

今、僕は主治医からも元気になったと言われている。

それは、言うまでもなく、先生や家族のおかげである。

と同時に、自分のおかげでもある。

自分のおかげと言ったら、何かおこがましい様な。

そんな感じもする。

でも、精神的に追い込まれている時は、基本的に強い自己否定感があると思う。

そして、悪い事ばかりを想像してしまう。

この悪い事を想像するのが、当たり前の状態に陥る事は、とても怖いことだ。

精神的な健康を取り戻して、気付いたことがある。

良い事を想像する。

この事はごく普通の事である。

2の考え方で、1番伝えたい事は、

良い事を想像し続ける事は、ごく普通の事である。

ということだ。

不安だったりで、追い込まれている時は、この考え方が、恐らく失われている気がする。

強迫観念と共存していくということは、僕の場合、良いことを想像し続けるという。

この、考え方がある意味ポイントだったのかもしれない。

3)

この文章の書き始めの頃は、

1)で出てきたような強迫観念で恐怖を感じていた。

でも、日曜日の今、

何もなく元気にPCをいじっている。

そう、ある意味。

時間の経過というのは、最強なのかもしれない。

気付けばどういう目的で、この文章を書き始めたのかも分からない。

気持ちの吐き出しなのだろうか。

いや、分からない。

分からない事を追求しても、仕方がない。

最後までお読みくださったあなたへ、心からの感謝を。

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