不安と共に駆け抜けた僕の四半世紀の記録〜おすすめ紹介処中の人〜#1

不安な人におすすめ
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これは中の人の実体験による事実を辿った記憶の回想です。医療的アドバイスではありませんので、悪しからずお願いします。

前書き

お疲れ様です。タイトルの通りです。しっかりと記憶がある範囲だと、10歳くらいからのお話なので、まぁ一個一個あげていたら、キリがありません。

僕はこの約15年間、悩み苦しみ渡り歩いた精神科と心療内科は計4ヶ所です。

正直、今の病院に通い始めたここ2年。やっと不安が和らいで日常を過ごせているなぁと感じています。

要するに10歳から24歳までの約15年間…

24なのか

なるほどな!

知っちゃいましたーー

俺は知ってたけどな

何で知ってるんですか

15年間のうち、自分のやりたい事がこの不安によって、制限を受けなかったのは、本当にここ1〜2年です。

実際、今でも体調が崩れる時はたまにありますが、それによって行動が制限されるまでには至っていないというのが、現状であります。

学童期の僕

ここは記憶が曖昧な部分もありますが、一生懸命思い出して、記憶を文面に写しだしていきたいと思います。

わたし中の人は、少年野球をやっていました。

割と器用な方で、決して力持ちではありませんでしたが、練習してないのに、なんとなく、最初からボールを取るのが上手かったり、小さなヒットを打ったりするのが、得意な子でした。

すると

監督役:上司

中の人。今度先輩に混じって試合で使うから準備しておけ。いいな

はい …

先輩は確か10人程しかいませんでしたので、1学年下の中の人にも、チャンスが巡ってきたというわけです。

普通の小学生なら☟

しゃあ!!親にも友達にも自慢だ!練習も張りきるぞー!!

となるはずですが、中の人は違いました。

えっ。試合出るのは、同級生とがいいなぁ。ミスしたらどうしよう

という感じで。

当時小学校4年生で、ショートを守っていた中の人はとにかく捕球が上手でした。ボールを投げるのも、そこそこ投げれたので、野球の守備では割と大事なショートを守っていました。

6年生の先輩が引退した後、5年生が主体になった時、ショートの準レギュラー的な感じで期待されたわけです。

そして、先輩に混ぜられて、試合に無理して出場していた中の人に異変が起き始めるのでした。

今でも鮮明に覚えています。

当時、1つ上の5年生の先輩には、◯◯Jr。(ジャイアンツJrとか)いわゆるプロチームのJrチーム後に選出される凄い先輩がいました。

もちろんその人のポジションはピッチャーです。

本当に当時小学生の自分からしたら、バズーカのような球を投げる人で、おまけに左利き。「野球漫画メジ◯ーの吾◯君かっ」ていうぐらい球が速く感じました。てか、怖かったです。

その人が2塁に牽制球をしてきた時、僕は必死にキャッチして、ランナーにタッチをし、アウトにしました。

【プロ野球パ】岸がナイス牽制でピンチを凌ぐ! 2014/05/31 L-D – YouTube

例☝︎(中の人がタッチする方です)

その牽制球をアウトにしたあたりから、”4年生普通そんな事考えないやろ”ということを思い始めるようになってしまいました。

ワザとボール落としたり、出来ないふりすれば、先輩と一緒には試合に出なくて済むんじゃないかな

子供ながらそんな事を考えるなんて、中々の変わった子というかなんというか。

結局その後も先輩が6年生。自分が5年生に進級しても一緒に試合に出続けました。

しかし、

徐々に真っ直ぐボールが投げられなくなったり、緊張と不安が強すぎて、監督のサインが見れなかったり、バットをボールに当てる感覚が消失したりと、少し違う気もしますが、要するにイップスの様な状態に10歳くらいでなりました。

子供ながらも自分が少年野球をきっかけに、大人に怯えるようになっていくことスポ少のメンバーをはじめとする周りの友達に対しての自信が喪失していくこと。

これらに気付いていくようになっていきました。

その結果5年生あたりにて☟

会話の声が裏返るようになる(確か家族に対しても)

•顔を不必要に触る仕草が現れる

•友達に◯◯などと、言われるんじゃないか..と異常に周りを気にするようになる

などが最終的な決め手になり、学校に週2〜3しかいけなくなりました。

こうなると、話は早いです。

いじめられるようになります。

具体的な内容はもう記憶が怪しいですが、同級生に体育館の角で、跳び箱置き場?みたいな場所に追い詰められて、キックされる..みたいな記憶があります。

確か結局それは『いじめだっ』みたいになって、親が学校に呼ばれて..相手の親から..謝罪?…

ここはもう親の話なので、覚えていません。すみません。

最終的には、小5で親に心療内科に連れて行かれて、当然年齢が年齢なので、投薬などはもちろん受けずに、優しそうな女性の臨床心理士さんから、カウンセリングを3ヶ月くらい?受けたと思います。

で、学校にも行けるようになったというわけです。

後書き

というわけで、10歳?11歳?で心療内科デビューを果たした中の人の実体験でありました。

結局これって、22,3歳でほぼ日常生活で不安を感じることがなくなるまで、根本的な解決はしていないってことです。

要するにずっとではありませんが、ここから10年くらいわたって、数ヶ月間つづく強迫観念などなどに襲われる未来があるというわけです。

今やっと、自分の身体に合うお薬をお医者様から処方してもらっているおかげで、こうして公共電波を使って、ここまで読んでくださったあなたにわたしの体験を伝えられているというわけです。

今のお医者様と今の治療薬との出会いが無かったら、ブログどころかSNSすら鍵は外せなかったでしょう。

わたしはお話をすることが大好きです。人前で話したりすることどうでもいいことで笑いを誘うこと、とても好きです。

長くなりそうなので、ここで閉じます。#2も読んでもらえると嬉しいですm(._.)m 最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あ、青年期は入れなかった

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