皆さまいかがお過ごしでしょうか。中の人です。今日は青年期について、僕の不安をまとめていきたいと思います。だんだん悩みが悲惨になっていくので、文面だけでも頑張って面白く書きあげます。それでは。 ※これは中の人の実体験による事実を辿った記憶の回想です。医療的アドバイスではありませんので、悪しからずお願いします。
前書き
どうやら心理学者エリクソンの漸成的発達理論によると、青年期は13歳〜22歳までとされているそうです。
読めないです..
案内人なんだから読めるように..
ぐ..す..
やばい女の涙には他キャストが鬼のように説教をしに..早くなんとか!!!!
“ぐっすり“寝てしまって、昨日予習出来なかったんです
_| ̄|○
青年期という事で、主に中学生時代と高校生時代を振り返ってみたいと思います。
青年期1(中学生時代)
はい。まずは入学式から。
端的にいうと
貧血(起立性)を起こしてしまい、合唱中に倒れました。
いや。ヨワスギダロ
弱いのはアイデンティティ
( T_T)\(^-^ )
中学生になった1日目にいきなり合唱中に倒れて、全校の注目の的になったわたし中の人であります。違う意味でカリスマ性(イジられキャラの)があったのかもしれません。
当時は全く笑えませんでした。
⓵からかわれる
⓶トラウマになる
など、色々ありましたが、⓵は正直イジられキャラになっていれば良かったので、あまり問題はありませんでした。
しかし、⓶がこれまた辛かったです。
何でかというと、数十分動かずに立っている事自体に、トラウマからのストレス反応みたいなのが生じるようになったからです。例をあげると☟
•部活のミーティングで監督の話を数十分聞く
もしかして..また..倒れるかもしれない..
という強迫観念なのか何なのかよく分かりませんが、冷や汗かきまくりでした。とにかく、長距離走る練習より、ただ立っているミーティングが地獄でした。
•合唱会で何曲かみんなで歌う
あ..もうダメかもしれない..タオレル
と常に思っていました。思いたくなくても、勝手に脳が反応するかのように、グルグル頭の中を上の言葉が駆け巡っていて、最悪な状態が続きました。
耐えかねて、中3の文化祭は仮病で休んだ記憶があります。
•しまいにはテスト中、長時間座っているのが具合悪くなりそうになってくる
なんか沈黙で具合が…
嘘に思われるかもしれませんが、高校受験は1コマ(確か苦手な数学)沈黙に緊張が相まって、息苦しいのとお腹がくだってくるのとで、10分くらい、挙手してお手洗いに行かせてもらいました。
試験時間が高校受験だと、1つ50分?とかなので、苦手科目で10分離脱はマジで痛かったです。
苦手科目だったからということもあるでしょうが、あのまま我慢してたら、過呼吸orお腹が終了のどっちかになってた思います。
結果的に第一志望の公立校に受かったので、めでたしめでたしでしたが、入学式に始まった強迫観念?フラッシュバック?を拭いきれず、3年間引きずりながら、中学校生活を乗り切った記憶があります。
でも、楽しいこともあったんだろ
不安は苦しかったですが、部活も3年間続けられて、友達にもイジられキャラとしてかわいがってもらい(?)楽しく過ごせたとです
よかったな
小•中•高•大と進学しますが、メンタルクリニックのお世話になってないのは、ここ中学だけです..
この内容でか。まぁまぁギリな戦いをしてたんだな。お疲れ
天ちゃん今日優しいね
あぁ、てか”天ちゃん”って呼び名。いつ許可した?
(´ー`)

青年期2(高校生時代)
わたし中の人どうやら、記事を書いていて思ったのですが、”変わり目“という時期がダメみたいですね。
高校は入学式の合唱や部活のミーティング(野球は辞めました)、テストなどありましたが、基本的にグラつくものの、大人になってきたこともあり、これらに対しては割と大丈夫になってきました。
実際高3の受験シーズンまでは、部活の仲間と楽しく遊んだり、初めて1人だけ数週間(?)彼女ができたりと、ぼちぼち充実した高校ライフを送っていました。
ふーん
いや、わしだって好きな人の1人くらい..
大問題が発生したのは、センター試験の受験日が迫った、確か年の瀬だったと思います。
顔に粉瘤だかなんだか忘れましたが、できものが出来ていることに気付きました。
普通は
受験なんだ!治療は後で!
となるはずですが
え..大きくなってきたら、どうしよう..
これって早く取らないとまずいやつなんじゃないか..
となり、
受験勉強に集中出来なくなってきました。
加えて、
マークシートの塗り潰しをちゃんと選んだ番号に塗れているかどうか、何回も確認するようになり、模試が徐々に解くスピードが遅くなってきました。(まぁ、対して解けていませんが..)
加え加えて、
当時、自分がやっていたTwitterから、知らない間に、社会倫理に反するような事を呟いてしまっているんではないかという強迫観念にも襲われるようになりました。
こうなってしまうとですね..
60分?90分?だまって座り続けて、模試を解くのいうのは耐えかねる辛さでありました。
なんせ
模試を解いている間に、マークシートの塗り潰しが大丈夫か確認し続けて、さらに試験中は決してみることの許されないスマホのTwitterが大丈夫かどうか。確認したくてしょうがない状態に陥っていますもの。
わたしも自称進学校に通って、センター試験の模試を受けまくっていたので、分かりますが、
自分の足らない頭で全集中の呼◯をして、臨んでも、対して点数取れないのに、こんな精神状態では、当然点数が取れるわけもありません。
そして、この間に小学生の時、通った心療内科に自ら志願して通院しました。
もうこの期間は辛さ過ぎて、記憶がほとんどありません。どんな治療を受けたかもまともに覚えていません。
挙げ句の果てには、当時まだ高校生だったこともあって、心療内科の先生に話せないんですよね。自分の症状を正直に言うということが。
『自分のTwitterから卑猥なこととかが、知らない間に発信されているかと思うと。夜も眠れないんです。自分を警察が捕まえにくるんじゃないかなと頭の中をグルグル駆け巡ります』
なんて、今だからこうやって公共電波で発信出来ますが、完全に認知が歪んでしまっているまだ17歳青年。そんなことオジちゃんの医者に言えるわけありません。
医者もグルで自分の話したこと全部外部に漏らすんじゃないか..などにも派生していました。
まぁ、こんなやばい状態です。
結果的に回り回って、私立大学に入学をしました。偏差値はBFをギリ免れるかなくらいのラインです。
当初国公立大への進学を目指していた中の人でしたが、自分の努力不足と精神状態の悪化で、第一志望には受かりませんでした。

後書き
辛い記憶を主に書きましたが、楽しい記憶もたくさんありました。わたしの場合、時期の変わり目に重症化して、時間が経ったら解決してを22歳くらいまで、繰り返します。わたしの体験に共感して、安心できた人が1人でもいたら、さらけ出した意味があったなぁと思います。全部は書ききれません。大学時代から現在までは次に書きます。よろしくです。
第一弾☟

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