「み、観にいく..」
「何を!」
「野球だよ」
「誰と…?」
僕が口を開こうとした時、坂さんの携帯が鳴った。
「ごめん、ちょっと電話」
「もしもし…うん、大丈夫」
一瞬だろうか、彼女の表情が曇ったような気がした。
僕にはそう見えた。
電話を終えた彼女は、どこか元気がなくなったような感じがした。
「野球。観に行こう。15日ねっ」
空元気を振り撒くかのように、そう僕に伝えてきた。
「分かった、チケット予約しておく」
「ありがとう、バイトあるから、そろそろ帰るね、今日は面白かったよ」
今日は僕たちが知り合った家庭センターのバイトは休みである。
ということは、彼女はアルバイトを掛け持ちしていることになる。
その事を聞きたかったが、急ぎのようだったので、
「またね」
とだけ伝えて、楽しかった昼食の時間は終わりを告げる。
帰り道、急な坂を下りながら、色々と考えてしまった。
人間というものは、直感というものが、生まれつき備わっていると僕は思う。
なんとなくであるが、さっきの電話の相手は男性だったのだろう。
そんな思考が脳内で反復していた。
だからと言って、僕が一方的に好意を持っただけだろうし、彼女にお付き合いしている人がいたとしても、別に驚くような事でもない。
一瞬、高校時代の淡い思い出と重なるような気がしたが、頭の中でもがくように、その事をかき消す。
僕はアルバイトを2つ掛け持つ体力も無ければ、精神的な余裕も持ち合わせていない。
人は自分に無いものを持つ人に惹かれるのだろうか。
自問を繰り返しながら、1人静かに安アパートへと、引き込まれていく。
大学生というのは、人生の夏休みと、どこかで聞いたことがあるが、それはあながち間違いではなかった。
午前中に授業を受けて、午後はアルバイトがないと、特にやる事がない。
それはあくまで僕に限ってのことで、そうでない人も多くいるだろう。
午後はもっぱら、社会福祉のレポートを書くための書物を読み漁り、それでも、まだ時は夕方だった。
本当は家事や炊事をしなければならない時間なのだが、どうしても、彼女の曇った表情が僕は頭から離れなかった。
僕は元々、何か1つのことが気になると、やるべきことが手につかなくなる性分がある。
−−お疲れ様、野球のチケットなんだけど−−
と送ろうとしたが、よく考えると、15日までは2週間ほどある。
さすがに、早足過ぎると思い、送信することを断念した。
それから音もない静かな空間で、自分の立てた物音しか聞こえない中、黙々と皿洗いをする。
しかし、どうしても、この簡単な作業に集中することができない。
ふいに、脱線をして、次のアルバイトがある日を確認してしまう。
−−次、話が出来るのは。5日後か−−
そう独り想いを巡らせていると、徐々に惨めな気持ちになってきた。
−−そもそも、自分が一方的に好意を抱いただけで、坂さんは野球を一緒観にいく、話しが合う人がいなかっただけ−−
それか、
−−あまり男性と2人で出掛けることに抵抗がないだけで、僕のような男っ気の少ない雰囲気の友達が欲しかっただけ−−
など、マイナスイメージしか浮かんでこなかった。
しっかりと、恋愛経験がある人なら、色々と推測であったり、探りを入れることができるのだろう。
でも、18歳の僕は、女性と付き合った経験がなかった。
結局どうすることもできず、ただ時が流れて行った。
そうして、次のアルバイトの日を迎えた。
電車に乗るため、最寄り駅へと向かうが、この前の出来事が原因か、心拍数が自然と上がってしまう。
駅に着くが、やはり、彼女の事を探してしまう。
どうやら、彼女は違う電車で行ってしまったのだろうか。
あまり混雑していない車両を敢えて選び、僕はアルバイト先へと向かう事にした。
正直、田舎出身のため、僕は電車に慣れておらず、苦手だった。
なので、いつも決まって、車両前方の吊り革を選択していた。
そして、乗り換えをする大きな駅に着いて、目的地へと僕を運んでくれる湘南線に乗り換えをする。
同じく車両の前方に乗って、吊り革につかまっていた。
すると、
「おいっ!」
という声とともに、背筋に軽い痛みが走った。振り返ると、坂さんが僕を見つけて、チョップをしていた。
突然の出来事に僕は弱い。
酷く動揺した。
必死に滲み出る顔汗を隠して、平静を装うかのように、
「お疲れさん」
そう一言伝える。
「お疲れ様!」
どうやら、元気なようだった。
学食で話をした時から、一切メッセージなどのやり取りはしていなかった。
例の話については、
気にはなるが、アルバイトで業務を協力して遂行する必要があるため、話を持ち出そうとは思わなかった。
変に自分が動揺してしまっては、職場にも、彼女にも、迷惑をかけかねない。
お互いにその話は持ち出さずに、2人真面目に業務へと向かう。
そして、何事も無かったかのように、4時間の業務を終わらせる。
問題は帰路である。お互い同じ大学に通っていたから、最寄駅が同じなのだ。
ということは、言わずもがな、最寄駅まで話を繋がなければ、気まずい時間がただただ続いてしまう。
それは、自分自身も辛いが、相手にも申し訳ない。こうして、僕のコミュニケーション力は磨かれていったのかもしれない。
震えまじりの声で、僕は口を開く。
「この前話してた、野球の試合のことだけど」
「あ、チケット取った?」
「うん、2枚。内野」
「バックネットじゃないの」
「え、あぁ、お金なかった」
「うそ!大丈夫!!はい!これ!!」
彼女はそう言って、僕にチケット代1人分を手渡してきた。
男はこういう時、奢るべきである。
そのような風潮というのは、なんとなく感じ取っていたが、大学生は想像の3倍、お金がなかった。
いずれせよ、見栄を張るのは苦手だった。
ということで、女性と人生で初めて、お出かけというものに行く事になった。
それまでの10日間というのは、ほとんど記憶がない。
それくらい、人生で初めての衝撃だったのだろう。
あっという間に、6/15日がやってきた。
その日は18:00からの試合開始。
朝は4:00くらい目が覚めた。
休みなので、当然日中は対してやることがない。
ゲーム機の電源をつけてみるが、娯楽にすら集中出来なかった。
そんな状況では、学校の課題にも、手がつくわけがない。
お昼ご飯を買うため、スーパーに向かう事を心に決めた時、窓を開けた僕は絶句する。
雨。
それも小雨ではなく大雨。
季節が梅雨に入っていたことは頭に入っていたが、いくら思慮深い僕でも、天気までは考えられなかった。
人間、受け入れたくない事象が生じると、途端に逃避をするものである。
僕は試合がまだ、開催するものであると信じて止まなかった。
無情にも、HPを開くと、試合中止という文字が画面に映っていた。
腹を決めた僕は、彼女に断りのメッセージをするために、スマホを開いた。
すると、既に1通のメッセージが来ていた。
−−中止なったけど、どうする−−
早く返信しなければ、そう思ったが、全く持って、どう返したら良いか分からない。
20分か30分くらい経った時だろうか。
彼女から追加でメッセージが来ていた。
−−わたし、今日1日予定空けてたから、暇だよ?−−
40分くらいたった時だろうか。
−−中止残念(汗)、夜ご飯でも食べにいく?−−
そう返信をした。
それから、1時間か経ったあたりだろうか。
彼女から、
−−作り置きでご飯あるけど、”家にくる?”あ、お菓子買ってきて−−
とメッセージがあった。
僕はまた。
しばらく返信することが出来なかった。
※この作品はフィクションです
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