社会のセーフティーネットと自分〜おすすめ紹介処のがち作文“第一説”〜

若い人におすすめ
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この作文を書く動機

中の人です。

わたくし社会福祉には多少なりとも、知識がありまして、端的に言うと、社会福祉士という資格を持っています。

じゃあ、何ができるのか。

何もできません。

いや、この言い方は完全に語弊の生じる言い方ですので、訂正させてください。

アクションとしては、未熟過ぎて何もできないけど、考察を巡らせたわたしの頭は社会福祉について、究極の関心があるということで、お許しを頂けますでしょうか。

あ、タイトルについてですね。

なぜ、この内容を今回提示したかというと、わたしは置かれている環境柄、よく社会のセーフティーネットから、溢れてしまっている方々をお見かけします。

ただ、自分にはその方々に対する援助技術というのは、大変申し訳ないことに皆無です。これは圧倒的に経験値が不足しているから、起きてしまっている事だと反省しています。

だから、福祉関連事業所で、支援職ではなく、事務職をしているというわけですね。

でも、”力になりたい“その感情だけは、消えないものでありましたので、いわゆるwebというものを使って、お一人様にでも、現代社会の一部分を知ってもらいたいその一心で、主題の作文に挑戦しようと思ったわけでございます。

自分がもし高度経済成長期に生まれていたら

時は令和

で良かった。

わたしは長い時間働くことができない。限界は8時間くらいである。

理由はというと、ここで事細かく述べると、そもそもそれは、ただの自分語りになるから、敢えては言わない。

まぁ、持病があるのだ。

タイトルにもある通り、高度経済成長期真っ只中に、もし自分が生まれていたらと想像すると、目の前が真っ暗になる。

その時代を否定しているわけではない。

例えば、わたしの大好きな首都高速道路。詳しくは知らないが、これは高度経済成長期に数多の人々が努力をした結晶だと思っている。

なぜ、好きかというと、景色が美しいからである。

単純野郎だ。

話を戻そうと思うが、昭和の高度経済成長期のこの時代は、モーレツ社員という言葉あったような気がする。

わたしは勿論、自分の両親さえ産まれているか分からないため、詳しくはよく分からない。

だって、平成と令和しかわたしは分からないから。

でも、なんとなく想像することはできる。

多分めちゃくちゃ残業が多くて、能力はもちろん体力勝負の時代だったんだろうと感じる。

当時は社会のセーフティーネットが今ほど発展してなかったと想像できるし、弱肉強食の色合いが強い時代だったのではないだろうか。

ゾワゾワする。

だって、昨日の仕事も5時間しか働けていないから。理由は精神的に体調が悪かった。ただそれだけ。

そう。わたしは。

年次有給休暇という会社の制度に守られたのだ。まだ、ある程度まとまった日数休みが残っている。

良かった。

現代社会は大体8時間くらい働けると、健康保険やら雇用保険やら、社会保険つきである程度の生活が保障される。

実際、わたしは累計して日数で割ると、平均8時間は働けていないと思う。

もしかすると、この初回版で作文の”作”の字もよく分かっていない初回の”文”を読んでくださっている優しいあなた様にも、共感していただける部分があるかもしれない。

では、わたしのようなタイプの人が高度経済成長期に生まれていたら、一体どうなるのか。

あまり考えたくはない。

良い事が一縷たりとも、想像する事ができないからだ。

確かわたしの淡い記憶が正しければ、この時代は会社に寝泊まりして、社内業務を遂行していく。

そんな動画をYouTubeで観た記憶がある。

わたしはそのような労働条件では、心身ともに3日くらいしかもたないだろう。

しつこいようだが、時は令和でよかった。

わたしは本当に運が良い。

本業ではないが、iPhoneという文面の利器を使いこなせば、好きな文字書きという作業もできる。

そして、わたしが愛してやまないGoogleアドセンス様から、ジュース1本買えるくらいのお金を頂けている。

本当に運が良い。

今わたしは運良く、現代社会に生まれて、今ある社会のセーフティーネットからは幸いにも、溢れることなく、生活をすることができている。

しかしながら、現代社会でも社会のセーフティーネットから、溢れ落ちてしまう人がいるのも、悲しいことに事実であると思う。

何でだろうか。

申請主義が原因なのだろうか。

いや、

違う。

そもそも、

全ての人を1人も溢れることなく、セーフティーネットすることは、現実的に難しいのかもしれない。

でも、その事実から目を背けてはいけない。自分が当事者になる可能性だって、誰にでもあるのだから。

社会のセーフティーネットに対してあなたが出来ることは

偉そうに書いてしまい、本当に申し訳なく思う。断定の形式で書かないと、いつものブログとのスミワケが難しいので、許して欲しい。

作文だけど。

まず、社会のセーフティーネットは

利用する

利用する人を助ける

の2つに分けられるのではないだろうか。

はじめに言いたいことは、

遠慮なく使える制度はあなた様が使える範囲で活用して欲しいと思う。

無論わたしは活用しまくっている。

だから、側からみれば、社会人をちゃんと勤めあげているように見えるのだろう。

社会のセーフティーネットは未熟者のわたしが思うに、浅い範囲では年次休暇。深い範囲では生活保護というところだろうか。

この浅いと深いはあなた様が置かれている状況下でどれを選択するかは変化してくるだろう。

わたしは浅い範囲しか利用したことがないため、利用者の視点では浅い範囲のことしか分からない。

でも、制度として与えられているものだから、気に留めることなく、制度の範囲内で利用することは非常に正しい選択だと思う。

無理してはいけない。

あまり自分だけで頑張ろうとしてはいけない。

これは自分に対しての自己暗示的ニュアンスも含まれている。

わたしは体力のキャパシティが小さいのに、無理をする傾向がある。

なぜかは自分でもよく分からない。

次に利用する人を助けるという部分に焦点を当ててみたいと思う。

まず、業務でという部分は除外したい。

確かに社会福祉を生業している方は少なからず、利用する人を助けるという行為は業務内でしているはずだ。

しかし、

これはあくまで生業としての利用する人を助けるなので、大変大変申し訳ないが、わたしの作文からは除外させて欲しい。

では、何ができるのか。

このことに関しては、とても幅が広いと思うので、次回以降に持ち越しをする部分もある。

今日は募金について述べていきたいと感じる。

実際有名トップYouTuberの方は、わたしが何年かかっても、稼ぐことのできない金額を寄付したりしている。

本当にすごい。

わたしはお金がないので、当然そんなことはできないが、募金という行為は何回か今年もしている。

金額は、

1口100円とかだ。

よく街頭などで、◯◯募金などを見かけている人もいるだろう。

実際、お金使途が不明で募金に躊躇してしまうことはないだろうか。

わたしも置かれている状況柄、募金の使い道が明確に分かっているため、1口100円と言えど、年何回か募金をしている。

ぜひ、この記事を読んだあなた様が◯◯募金に街頭で出会い、悩んで立ち止まった際には、Google先生で検索をしてみて欲しい。

使途が明確な募金はきっとHPがきっちり作成されているはずだ。

それを読めば、少し納得して100円をわたしみたいに寄付することが出来るかもしれない。

利用する人を助けるという点で、なぜ募金を選んだかと言うと、やはりお金というのは、ディナーで言う主食になるからだ。

簡単にいうと、分かりやすく人を救えるからだ。

お心に幾分か余裕のある方は、余裕のある分、協力をすると救われる人が増えると思う。

わたしは100円の余裕があったから、それを何回かした。

余裕のある分でいいのだ。

今まで募金に興味の無かった方も、よく見返すと、100円分くらいの余裕はあるかもしれない。

つづく

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